学校法人 天授ヶ岡幼稚園

手打ちの由来

京都は歌舞伎発祥の地で(慶長8年、 1603年)四条河原には芝居小屋がいくつか建っていた。
歌舞伎役者はここで一年間(11月から翌年10月まで)出演することになっていた。それで毎年11月(いまでは12月)にこれらの俳優の顔見世が行われて、太夫元、座頭、役者などが出演の契約を結ぶために「手打」を行った(お互いに手を拍ち合わせて契約を固めることはわが国の古い風習である)。ところが以上の様な固めの手打とは別に、顔見世の招き看板も上がり、太夫元、座頭、役者などが芝居小屋に乗り込むのを迎えて贔屓、馴染みの人々が盛大に「手打」を行うことがあった。即ち役者の乗り込みを迎える手打式がこの曲のもとである。したがってこれは舞ではない。
現在では京都南座で毎年の吉例として顔見世興行が 12月に行われるが、実はもう昔のような一年間の契約ということもなく、この役者を迎える手打も行われていない。祇園の芸妓連の間にただ「芸妓の手打」が残っている。祇園新地は、もともと四条河原の芝居小屋のあたりにはじめられたもので、その芸妓連が顔見世に乗り込む役者を迎えて手打を行ったことは当然のことである。
このことは、大坂道頓堀でも同じであった。江戸でも行われたが今では京の祇園だけに伝わって名物の一つになったのである。

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